陶芸家・佐藤孝行さんINTERVIEW


話が舞い込んで来たのは告知CMも作らせて頂いた音楽イベント《お熱いのがお好き》の主宰者・小林さんの「イベントのマグカップ作ろうと思ってさ、今度取りに行くから一緒においでよ」というそんな一言に、思わず「だったら《Scramble eGG entertainment》にインタビュー載せましょう」と言ってしまったのが始まりだった。まぁ実際、取材は楽しかったのだけど、あまりに突然で特に構成を考える間もなく、静岡行きの電車に乗っていた…だから帰ってテープ2本分を観てはどうしようなどど考えているうちにイベントの日も間近に迫りという状況でパソコンに向かいながら今これを書いている。

それにしても小林さんから聞いてはいたけれど本当に驚くほど山奥に住んでいてビックリした。タクシーを呼んでも来ないというのに簡単に納得してしまうほど…車で行ったからまだ善かったものの歩いて行ったら登山と変わらないくらい山奥。もう一会窯に着くまでに一体、いくつの茶畑を見たか…

「凝り出すとメチャクチャ凝るから、だから誰か止めてくれんと数だけメチャクチャ出来る。生活のこと何にも考えてないからさ(笑)」




そう笑いながら言う通り、着くとビックリするほどの数の陶芸品が箱に詰められたものまで入れるともういくつあるか分からないほどの作品で溢れ返っていた。「センターがビシッと出とかないといけない」ひとしきり話すと轆轤を回し始めてくれた。あっという間にいろいろ教えてくれながら3つも作ってくれたけれど、そこにたどり着くまでには長い時間がかかっという。「あっという間だけどやっぱり35年とあっという間」
しかし驚くことに轆轤で次々と作りながら離れの工房を出て自宅に赴くとそこには絵画やら染物やら写真やらが広い家の中を敷き詰めていた。
「轆轤はひとつの手段、ものを作るひとつの方法。だから轆轤が全てじゃない」

でもこれだけの作品数がありながらそのきっかけは実に意外なものだった。「東京から名古屋の代理店に移ったたんだけど、そのときに最初の仕事が  伊賀焼の取材だった。三重県に伊賀焼ってあるんだけど 初めて焼き物を見て、今まで見たことなかったんだけど、取材して、あ、凄いな、面白そうだなと思って、それで会社辞めた(笑)」「取材してすぐ?」「そう、ミイラ取りがミイラになった(笑)」

これにはやられた。てっきり学生時代からやりたかったけど、ひとまず広告代理店に就職したものの、それでもどうしてもやりたくて陶芸家を目指したのかと思ったら、そんな理由じゃなかったんだから…「他が見えなくなるんだよね、それに集中しちゃう、だから自分で思い込んじゃうもんで・・・自分が納得しちゃえばさ、あとは誰がなんと言おうと関係ないわけ」だから佐藤さん、もうそう思ったら行動する人なのだ「26かな…どうやったらなれるか、やりたいと思ってもすぐはやれんわけじゃん、どうしたら一番いいんだろうと思ったらやっぱ弟子入りかなと思って。だから教室なんて頭になかった、取り敢えず弟子入りしようと思って。それが始まりだね。で、どうやって生活しようとか考えてなかったもんで(笑)取り敢えずやりたいってことで


「で、たまたま本で見たときに前田先生って言って、同じ郷土の熊本出身の人がいて、その人を訪ねて行ってやりたいけどどうすればいいだろうかと聞いたら、窯業訓練所というのが瀬戸にあるらしいんだよ、そこに行けば手堅いぞと。そこに行くには失業保険とか使えるもんで、その方がいいなと思ったんだけど、やりたいのが先なんだよ。だからそこ行くよりもっと手早くやる方法はないかって、霞仙陶苑の前に土から作ってるところがあるって言われて、土を作るところから製品まで作る小さいところがあって、そへ取り敢えず入れてもらって、それまで土を触ったこともないし、全然素人だった。で、そこで暇な時間に轆轤触らせてもらって、そこに1年くらいいたかな」その行動力には驚くばかり…「でもあんまりものを深く考えない、今でもそう、考えようとか出来ないんだよね。いいか悪いか、若いときから女の人にも言われてた。あなたって強引ねって…ゴーイングマイウェイって(笑)いやいやでも好きなことをやりたいためにはそう。」しかしだからこそいろんな人が佐藤さんを支えたのかもしれない…












「それで今、アメリカの現代陶芸家で有名な金子淳って人がいるんだけど、もともと絵描きさんだったんだけど、アメリカ行って陶芸を始めた 。斬新な陶芸をやるんだけど、その人がたまたま仕事場を作るってことでさ、北設楽の方にね、それで手伝いが欲しいから俺が行こうってことになって、会社を休んでそこで半年くらいやったのかな、そこで霞仙ていうのは瀬戸で一番いい仕事してる会社だったから、金子さんの友達に鈴木五郎っていうこれまた凄い人がいて、いろいろ先生の運転手しながらそこに行ったりして、で、その人が霞仙の先輩なんだよね。最初勤めてたところの。それで働きたいんだけどどうだろうかと言って、やっぱいいとこいかないといい腕、いい仕事してるとこじゃないとやっぱり困るわけ。時間はないし、もう26か27くらいだったから早くしないと時間がないと思って、それで行ったらもうみんな凄いじゃん、働いてて、俺なんかまるっきり知らんわけ、素人だから。それで五郎さんって言う人が名人って言われてて、まだ若かったけどね、で、その人の紹介だから凄いんじゃないかって目で見られて、凄いやつが来たって、そしたら俺なんにも出来ませんって、そしたらなーんだそんなもんかって教えてやるよって言われて」

そこでさらなる出会いが待っていた。「北川民治っていうのはその霞仙陶苑にいたの、そこが北川民治のスポンサーみたいになってたからよく来てた。で、いつも酒好きだからさ、俺も酒好きだから酒のみに行こうって言うわけ、俺まだ仕事中だぜって言って、いい、いい、社長も行くからって、そんなもん行けるわけない(笑)でも結構そういう感じで、絵描きさんなんだよね。でもあの人は絵描きさんというよりも美術評論っていうか、子供の教育者、美術教育者なんだよね、ここに本があるけどさ、この人が全然知らなかったんだけどさ、この辺りの出身で、それでここには北川民治さんに呼ばれて来たみたいな感じで…いろんな人のおかげでいろんな感じだな…だから藤枝に工房持って教室やって、人との出会いっていうかさ、結局はひとりの人間がやれることは本当に微々たるもんじゃん、だから人との出会いって言うのはやっぱり大事だなってだから俺のところの工房(一会窯)は一期一会の『一会』、と言いながら自分は山の中に入ってるんだけど(笑)」と言いつつもこうして佐藤さんにインタビュー出来たのも《お熱いのがお好き》の主宰者・小林さんが偶然迷い込んで目についたのが佐藤さんのアトリエだったからなのだけど…

「だから何かあったのかも、惹き合うものがね、ま、必然だったり偶然だったりするんだけどね、偶然っていうのが結構面白い、だから出会いっていうのは面白いんだよね」

男と女の話にも及んだけれど、その話はまた佐藤さんに会ったときにでも酒を交えながら話すとしよう。それにしても本当に偶然舞い込んで来た話で、まさかこのHPで陶芸家にインタビューするなんて考えもしなかったけれど、しかしそれが《一会窯》という名前を持つ工房の陶芸家だったのもまた面白い。「映像は画や音楽はもちろんのこと生活のあらゆるものが交差するもので、ここがそういういろいろな人やもの――バンドはもちろん、写真家やダンサー、役者からライブハウスや舞台、店などに至るまで――が集まる場所になればいいと思いScramble eGG entertainmentと付けました」とABOUTに書いているけれど、まさにそんな出会いだった。そもそもテレビも雑誌も面白くない今、何か出来ないかと思い始めたのがこのHPなのだけど、こんなスタートを切るとは思わなかった(笑)情報過多で細分化/二極化が進む今だからこそいろんな出会いをここでカタチにして行けたらと思う。そしてそんな時代に山で生活する佐藤さんのこんな言葉が一番印象に残ったのでそれを最後の締めにしようと思う。

「要するに自分の直感、直感しか信用できない、人がいいかって言ったって、もうそれは自分がいいかどうか」

もう面白くもないメディアに振り回されるのは終わりにしようと思う。


協力
お熱いのがお好き

インタビュー/文
Scramble eGG entertainement





協力
お熱いのがお好き

撮影/編集
Scramble eGG entertainment